特別資料室
特別資料室には、東浦町出身の国文学者久松潜一・久米常民両博士の著書や関係文献、ゆかりの品々を展示しています。
主な展示物... 久松潜一氏の編著作書約200冊。直筆原稿約400点。
久米常民氏が所蔵していた国文学研究書約1800冊。 うち万葉集研究書が600冊を占める。
久松潜一 (1894年~1976年)
略歴
明治27年、愛知県知多郡東浦町藤江に生まれる。藤江尋常高等小学校から愛知県立第一中学校(現旭丘高校)第八高等学校(現名古屋大学)さらに東大文学部国文学科へ。大学院を卒業して東大講師、助教授、外遊を経て教授に。
万葉集の研究家契沖の研究から出発して万葉集の研究を。時代をさかのぼって古事記・日本書紀。時代を下って古今・新古今。歌の道をたどって芭蕉の俳諧も。源氏物語などの物語文学の研究も、中世・近世・明治・大正に及ぶ。
興味・関心の広さ深さはとどまる所を知らず、それを後に、和歌史および日本文学史としてまとめあげた。さらに、文学評論の研究の分野を開拓。日本文学評論史(全5巻)をまとめあげた。
皇室との関係も深く、昭和21年から6年間、東宮殿下(現天皇)に御進講。また二度にわたる皇孫御命名の資料提出者、歌会始の儀(うたかいはじめのぎ)の召人(めしうど)の役もはたした。
国文学者吉田精一先生は久松先生について「弾力性と柔軟性に富む学風は円満な人格と相まって昭和学界の師宗である」と書いている。昭和51年3月、肺がんのため没。81歳。
故郷を愛し続けた久松先生の墓は藤江安徳寺にある。
主な著書など
日本文学評論史(全5巻) 日本文学史 万葉集考説 久松潜一著作集(全13巻)
藤江小学校、東浦中学校、東浦高等学校の校歌を作詞しています。
校歌は「東浦町 校歌のページ」からご覧ください。
久松潜一著述目録
この目録は、池田利夫鶴見大教授(当時)作成「久松潜一著述目録」 -「国語と国文学」(昭和51年7月号)所載- に、東浦町中央図書館が寄託され所蔵している久松先生の著作群ならびに約2万枚に及ぶ論文原稿等を参考に項目を補充、追加したものです。
遺品
ご家族から寄託された愛用の品々など
久米常民 (1913年~1977年)
略歴
大正2年、愛知県知多郡東浦町藤江に生まれる。藤江尋常小学校から愛知県立半田中学校へ。童話作家新美南吉と良きライバルとして親交を結ぶ。
第八高等学校から東大文学部国文学科へ。昭和12年卒業後中学校教諭を経て、昭和18年陸軍予科士官学校教授となる。この頃から万葉関係の論文を発表し始める。
戦後、愛知県立半田商業、明和、第一女子、大府、半田の各高校教諭を歴任。
昭和32年、愛知県立女子大学兼女子短期大学助教授に。昭和34年、同校教授。昭和41年、愛知県立大学教授。この頃万葉関係の論文を精力的に発表。
昭和45年、文学博士の学位を受ける。論文「万葉における文学性の研究」
昭和48年、愛知県立大学付属図書館館長。
昭和49年、東浦町総合計画審議会委員長。
この間「万葉の誦詠歌」などの万葉関係の著作および「国語教育の方法と実践的理論」など多数出版。
中部地方における万葉研究の中心的役割を果たす。
昭和52年2月、急性脊髄炎のため急逝。
従4位勲三等瑞宝章を受ける。
同郷の久松潜一先生を心の師として精進した万葉学者として、また、郷土に強い愛着を示した和やかな人格者として、人々に慕われた貴重な存在であった。
主な著書など
万葉の誦詠歌 万葉集の文学的研究 万葉歌謡論
森岡小学校、片葩小学校、北部中学校の校歌を作詞しています。
校歌は「東浦町 校歌のページ」からご覧ください。
久米常民著述目録
この目録は愛知県立大学文学部国文学研究室編集「久米常民教授を偲ぶ」(昭和52年5月発行)の年譜及著書論文目録をもとに作成しました。
遺品
ご家族から寄贈された愛用の品々
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