略歴

 大正2年、愛知県知多郡東浦町藤江に生まれる。藤江尋常小学校から愛知県立半田中学校へ。童話作家新美南吉と良きライバルとして親交を結ぶ。
 第八高等学校から東大文学部国文学科へ。昭和12年卒業後中学校教諭を経て、昭和18年陸軍予科士官学校教授となる。この頃から万葉関係の論文を発表し始める。
 戦後、愛知県立半田商業、明和、第一女子、大府、半田の各高校教諭を歴任。
 昭和32年、愛知県立女子大学兼女子短期大学助教授に。昭和34年、同校教授。昭和41年、愛知県立大学教授。この頃万葉関係の論文を精力的に発表。
 昭和45年、文学博士の学位を受ける。論文「万葉における文学性の研究」
 昭和48年、愛知県立大学付属図書館館長。
 昭和49年、東浦町総合計画審議会委員長。
 この間「万葉の誦詠歌」などの万葉関係の著作および「国語教育の方法と実践的理論」など多数出版。
 中部地方における万葉研究の中心的役割を果たす。
 昭和52年2月、急性脊髄炎のため急逝。
 従4位勲三等瑞宝章を受ける。
 同郷の久松潜一先生を心の師として精進した万葉学者として、また、郷土に強い愛着を示した和やかな人格者として、人々に慕われた貴重な存在であった。

 

主な著書など

万葉の誦詠歌 万葉集の文学的研究 万葉歌謡論
森岡小学校、片葩小学校、北部中学校の校歌を作詞しています。
校歌は「東浦町 校歌のページ」からご覧ください。

 

久米常民著述目録

この目録は愛知県立大学文学部国文学研究室編集「久米常民教授を偲ぶ」(昭和52年5月発行)の年譜及著書論文目録をもとに作成しました。

 

遺品

ご家族から寄贈された愛用の品々